まちと暮らす Local & Life 連載・雪宿り

記憶を集める市に、雪宿りが並んだ日──新庄市・万場町よろず市と夜市

七月十一日、土曜日。山形県新庄市万場町で、奇数月の第二土曜に開かれる「よろず市」に、この連載の主役──再生工事を控えた古民家「雪宿り」も、万場町の一員として出店しました。 この日の市のテーマは、「想い出ポスト」。町の記憶を集める市です。そして雪宿りが並べたのは、片づけの中で家から出てきた、古い道具たち。誰かの思い出が、誰かの宝物になる一日でした。 告知には、こう書かれていました。集まった記憶は、今後「雪宿り」でひとつの作品として可視化していきます──。 市の一日と、市をつくってきた人たち、そして雪宿りのいまを、山村プレス編集部がレポートします。

2026.08.31・ 文=yamamura-admin ・約9分で読めます
記憶を集める市に、雪宿りが並んだ日──新庄市・万場町よろず市と夜市

日が暮れると、元信金の駐車場に提灯がともる。雨上がりのアスファルトに、灯りの色が滲んでいた。

雪宿り、市に出る──想い出フリマ

この日の出店リストに、「雪宿り/想い出フリマ」という一行がありました。

雪宿りは、ヤマムラが万場町で再生を進めている、大正13年(1924年)築の古民家です。連載の第一回では、この建物の来歴と、宿とまちの案内所として開いていく構想をお伝えしました。その雪宿りが、この日は初めて「万場町のお店」として小商いを行いました。よろず市は午前十時から午後二時まででしたが、雪宿りのフリーマーケットは、そのまま夜市の終わる午後七時まで、戸を開け続けました。

廊下や畳の間には、持ち主さんが大事に保管されていた衣類や反物が並び、ちゃぶ台には片づけで見つかった小物たちが並びました。銘柄もさまざまなマッチ箱は「3点100円」。裁縫箱から出てきたボタンは「5点100円」、木製の糸巻きに巻かれたカラフルな糸は「5個100円」。待ち針の刺さったままの針山、未使用の8ミリフィルムまで。

色褪せたブロマイドや絵はがきの山は「2点で100円」。箪笥は抽斗(ひきだし)を開けたまま会場に置かれ、ネクタイや数珠、シャツが、しまわれていた姿のまま売られています。花瓶や瀬戸物、カラフルな履物も、台に載って店先に並びました。

ちゃぶ台のマッチ箱。見覚えのあるものから、高級ホテルのものまで。
箪笥は、しまわれていた姿のまま売り場に
レトロなリュックサックとお召し物も
土間スペースに並ぶカラフルな履物
廊下に並ぶハイカラな洋服
絵はがき「2点で100円」
日常が戻ってきたかのような夕暮れ時の廊下

売り場に立った芹澤さんに、あとから当日のことを聞きました。この日、道具たちはおよそ二十点、新しい持ち主に出会ったそうです。

印象に残っているのは、二十代のお客さん。おばあさんが使っていたという古いバッグを、身につけていたアクセサリーに合わせて選んでいきました。地元の高校生がふたり、ふらりと立ち寄ってくれる場面も。

私たちが「古いもの」だと思っているものを、若い方たちは、新鮮なものとして手に取ってくれるんです。

この日の雪宿りには、建物を見に来たご近所の方も次々と訪れました。「昔、よく遊びに来たんだ」「この家の人は、お金持ちだったのよ」──売り場に立っているだけで、聞いたことのなかった思い出話が、ぽつり、ぽつりと集まってきます。中には千葉から、さらには台湾から訪ねてきてくれた人もいたそうです。

この建物が郵便局、茶屋、文具店として使われてきたことや、持ち主さんがとてもおしゃれで流行りにも敏感だったことが、並んでいるモノたちから伝わってきます。これまで古い家の中で眠っていたモノたちが、よろず市&雪宿りのフリーマーケットを通して別の誰かの手に渡っていく。考えてみれば、これも記憶の受け渡しです。

世界で一番小さな夜市

賑やかなジャンベの打音が響き渡る
吹奏楽の演奏に合わせて、編み笠がひとつ、飛び入りでもうひとり。

午後三時半ごろ通りに出てみると、昼の部の店じまいと入れ替わるように、通りの奥、旧新庄信用金庫万場町支店──いまは「元信金」と呼ばれる建物の駐車場では、夜市の準備が進んでいました。「万場町の世界で一番小さな夜市」。ポスターにはそう書かれています。世界で一番小さい、とわざわざ名乗ってしまう。その言い方から、この市をやっている人たちの、肩の力の抜けた構えが伝わってきます。

ポツポツと時々落ちてくる雨の中、テントの下に射的の台が組まれ、かき氷の幟が立つ。ビールを片手に顔なじみの面々が集まってきます。開始の合図なのか、ジャンベが鳴り始めると、踊りだす人、手を叩く人。まだ明るい七月の夕方の空に、賑やかな音が響き渡った。

この日は、地元の高校の吹奏楽部の生徒たちもゲスト出演で演奏に来ていました。よろず市はふだん土曜の昼に開かれるので、学校のある生徒たちは出られません。「夕方からだったらどう、と言ったら、ああ、いけますね、という話になって」──そう教えてくれたのは、実行委員長で、この通りの銃砲火薬店の当主・小野護さんです。駐車場の一角が客席になり、演奏の前では編み笠の踊り手に、観客が飛び入りで加わって踊り出す。演奏が終わると拍手が続いて、もう一曲。「吹奏楽の方たちも新鮮だったみたいで。アンコールなんか受けたの初めてです、って言ってたんで」。ふだん接点のないお年寄りと高校生が、同じ音楽を聴いている。小さな夜市の、小さくない光景がそこにはありました。

日が暮れると、木組みの街灯に赤い提灯がともりました。ビールを片手に立ち話をする人、テーブルを囲む家族連れ。夜市は午後七時まで続き、これから本格的な夏を迎える新庄のまちで、夜市は夕涼みの準備運動をしているようでした。

 記憶を集める市

この日のよろず市のテーマは「想い出ポスト」でした。

集めていたのは、万場町の記憶です。かつてこの通りにあった店、建物、遊び場、お祭り、人との思い出。どんな小さなことでもいい──WEBフォームやInstagramで送る、当日会場で話す、手紙に書いてポストに投函する。寄せられた記憶は地図の上に重ねられて、「万場町の記憶地図」として形にしていきます。いまの通りからは見えなくなった風景を、人の記憶で浮かび上がらせようという試みです。

では、記憶はどれくらい集まったのでしょうか。あとから芹澤に聞くと、返ってきたのは正直な答えでした。事前にフォームやInstagramに寄せられた投稿は、ゼロ。当日、会場の付箋に書いてもらえたのが二件。のくらしの吉野さんのInstagramに届いたDMが二件。合わせて四件の記憶が、いまも当日掲示した地図に貼られたまま残っています。

もともと「記憶の可視化」は、再生後の雪宿りの運営の中で、時間をかけて取り組む予定だったテーマでした。それを実行委員会との話の中で、試験的に前倒しして始めてみたのが今回です。募集はいまも続いています。のくらしと雪宿りのInstagramには記憶を寄せるためのURLが引き続き掲載されていて、集まってきた段階で、地図への集約を進める予定です。

四件、という数字だけを見れば、静かなスタートです。でも、売り場でぽつりぽつりと集まった思い出話のことを思うと、町の記憶は、フォームよりも先に、人の口から集まり始めるものなのかもしれません。急がずに続けていくこの試みを、連載でも折に触れて追いかけます。

万場町という町名自体、「よろずの場所」から来ているといいます。そしてこの通りには、外から移り住んだ商人たちが祀った市神様が、いまも祀られています。よろず市は自らを「市神様の参道のお祭り」と再定義し、氏子総代に話を通したうえで、毎回、御祈祷から始めているのだそうです。

よろず市の生い立ちを辿っていくと、この街で暮らすということ、この街で商売をしていくことが見えてくるような気がして、よろず市の生い立ちとそこに関わる人たちのことをもっと知りたくなりました。

市をつくってきた人たち

七月の市が終わってから、よろず市のこと、万場町という場所のことを知りたくて、通りの人たちに話を聞きに行きました。すると話は、数珠つなぎにつながっていきました。ひとりに話を聞くと、「それなら、あの人に」と次の名前が出てくるのです。

最初に訪ねたのは、八年前にこの通りで「万場町 のくらし」を開いた吉野優美さん。よろず市雪宿りの始動のきっかけを作ってくれた人でもあります。お店が消えていく通りに、久しぶりに現れた新しい店。以来、よろず市の実務の核を担ってきました。毎回テーマを変える理由を聞くと、こう話してくれました。

なんとかマルシェをやっても、人は来ない。目的が必要だよね、と。並んでいるお店同士で共通のテーマを持っているほうが張り合いがあるし、お客さんもそれを楽しみに来てくれるんです。

吉野さんの話に何度も出てきたのが、市役所職員であり、夜市の仕掛け人でもある押切健さん。新庄に生まれ、一住民として万場町に通い続けています。夜市の発想の根っこには、小学生のころ、市民プラザの映画上映に兄と自転車で出かけた夜の記憶があるといいます。「家じゃなくて外に出て友達と遊ぶ経験を、子どもたちにさせたいなというのが結構あって」。

押切さんが「町の歴史なら」と繋いでくれたのが、ハナヤ花店の二代目・軽部望さん。二十年ほど前にこの通りへ店を移してきた軽部さんは、町の記憶を扱うときの掟を、はっきり言いました。

一番良くないのは、「昔は良かったね、今はダメだけど」っていうノスタルジーになること。昔は良かったって、誰もが万場町のことを言うんです。でも、言ったところで、あんまり何にもならないので。

そして、この通りで生まれ育った唯一のメンバーが、冒頭にも登場した実行委員長の小野護さんです。古くから万場町で商いを続けてきた家の当主は、委員長という肩書をこう言って笑います。「そこはもう、完璧、形の上。自分が唯一この街で生まれて、一番長いので──」。

市役所の職員、花屋の二代目、鉄砲屋の当主、八年前に店を開いた移住者。住んでいる場所も、関わる理由も、それぞれ違う人たちが、「それぞれ」のまま、ひとつの市をつくっている。話を聞くほどに、この市の続いてきた理由が、少しずつ見えてくる気がしました。ひとりひとりの話は、とても一回では書ききれません。よろず市の生い立ちも、この町の五十年も、これからの連載の中で、じっくり書いていきます。

吉野優美さん(万場町 のくらし)
押切健さん(新庄市職員)
軽部望さん(ハナヤ花店二代目)
小野護さん(小野銃砲火薬店・ホコテンプロジェクト実行委員長)

雪宿りの今とこれから

最後に、雪宿りのいまを報告します。

よろず市のあった七月、雪宿りでは、耐震改修に向けた本格的な準備が始まりました。七月中旬には、構造計算の専門家を招いて、古民家の耐震の考え方や判断基準についてレクチャーを受け、その場で建物の簡易的な診断も行いました。いまは、耐震診断に必要な図面を起こすための現地調査が続いています。床下に点検口を開け、天井裏に頭を入れて、この家がどう組まれているのかをひとつずつ確かめていく。図面の残っていない古民家の改修は、家を「診る」ことから始まります。

調査と並行して、詳細設計も進んでいます。骨組みの状態は、壁や床を剥がしてみないと分からないところが残ります。そこで近々、構造に影響のない範囲で、店舗部分や廊下の床から部分的な解体を始める予定です。剥がして、確かめて、設計に返す。サウナの配置をはじめ、間取りの詳細は、建物と対話しながら詰めていきます。

蔵の整理も進みました。この家に残すものを仕分けて、蔵に納めるスペースを確保。引き取ってもらうものは、業者への見積もりが始まっています。裏手の古い小屋はこの先解体して、工事中の資材の搬出口として使う予定です。

本格的な解体工事は、十二月に始まります。そこから約四ヶ月かけて建物を仕上げ、二〇二六年度内──来年三月末までの完成・オープンを目指しています。雪国の、雪の季節の工事です。降雪期は屋内の工事を中心に進め、外まわりは雪解けを待って仕上げる計画です。

道具たちが旅立ったあとの店の間は、がらんとしています。空になった陳列棚、ガラス戸ごしに差し込む光。この静けさは、工事が始まればいったん失われます。フリーマーケットは道具たちの送り出しであると同時に、「工事前」のこの家を、まちの人と見ておく機会でもありました。

よろず市は、これからも奇数月に開かれます。雪宿りの関わり方も、決まり次第この連載でお知らせします。そして、万場町の記憶も、いまも集まり続けています。

この連載はこれから、工事の進行具合と、町の暮らしとを行き来しながら続けていきます。家を診る調査の話。通りにどう開くかを考える設計の話。そのあいだに挟まれる、市神様とよろず市の話、この通りで商いを続けてきた人たちの話。次回は、建物調査と部分解体の現場からお届けする予定です。この家が見てきたもの、これから預かるもの。ひとつずつ、書いていきます。